最後の配達2015/02/13 07:36

引越しのお手伝いしている?快晴くん
今日で生活クラブの仕事も最後です。
このブログしかご覧になっていないかたは「え?!」な感じかもしれませんが…

生活クラブ、退職します!
大好きな生活クラブですが、これからはイチ組合員に戻り、
新たな生活クラブライフを送ろうと思います。

今日は最後の配達です。
泣くかもしれない…
既に3コースの人とお別れをしてきて、お手紙やお餞別を頂き、
たかが配達員にこんなにしてもらって、本当に感激しています。
末端の人にもこんなに良くしてくれる生活クラブ組合員の皆さんは、
本当に人徳のある方が多いですよね。

次の仕事のことも書きますが、
まずは来週から高知に林業研修、
再来週からはネパールに旅行に行きます。

あっ、その前に明日、奥さんの実家に引越します!

しばらくドタバタが続きますが、
配達先だった組合員の皆さんにもこのブログを紹介したので、
ちょこちょこでも書いていくようにします!
これまでも同じことを何度か書いている気がしますが、
書く書く詐欺にならないように、今回はちゃんとしますよ!

コメント頂けると嬉しいです!
コメントもらえると、また書こうと思う気持ちが2割3割5割り増し!です!

書かなければ書けなくなる2014/08/18 22:11

必要に迫られて、とあるところに履歴書的なものを書いています。
特に、自分の考える日本の将来の姿や、自分がどのようにコミットしていくか、
そういうことを書かなければいけません。

もともと、そういうのを表現するのは得意だと思っていたのですが、
一通り書いたところで妻の舞子ちゃんに見せたら

「普段おいらさんが話してることの方が100倍面白い」

と言われてしまいました。ショック。

ちょっとしたことへのコメントのキレは、
普段から舞子ちゃんと話しているためにキープできていますが、
一頃よくやっていた物事総体に関することへの語りは、
どうも鈍くなってきているようです。

労働者としての仕事とは恐ろしいもので、
その事を一日中考えていなければいけません。
元々持っていた考え方や、思考の技術も変わってきてしまう。

というわけで、また書いてみようと思います。
具体的な内容は次回以降で。

おい、あんた2年ぶりの投稿なのに一言も無いのか!
ということはまぁ、置いておいて。ね。
いいじゃないですか、こうしてまた始められたのですから。

アキレス腱を切って幸せになった2012/11/25 00:25

相変わらずご無沙汰ぶりの更新です。

さて、去る10月14日に右足のアキレス腱を切りました。
神奈川県バドミントン社会人リーグの最終日、
第一ダブルス、第二シングルスという役回り。
全ての試合がファイナルまでもつれるという接戦、
そして最後は残留を賭けた1戦の第二シングルス。

負けられないという思いが、
身体の限界を察知するのを鈍らせたようです。

前に落とされたシャトルを取るために踏み出そうとした瞬間、
身体の中に響く音を聴き、
「あ、切れた」と感じて倒れ、そのまま試合終了。

救急車で最寄りの病院にて簡易ギプスの処置を受け、
次の日は有休を取って日帰り手術、
それから今日に至るまで東新宿まで通勤しています。

そうそう、チームはその次の女子シングルスの金星でどうにか残留できました。


あーなんて痛い話。


なんですが、
アキレス腱を切って、わかったこと、感じたことがたくさんありました。

①世の中のバリアフリーについて考えるようになりました。
エレベーターのありがたみ、
下りエスカレーターはやっぱり必要!
相鉄線横浜駅のエレベーターアクセス悪すぎ!とか。笑

あと、都営バスもたくさん利用していて、
電車とはちょっと違った時間の流れ方をするバスが好きになりました。


②舞子ちゃんとの時間が増えた
10月15日が舞子ちゃんの誕生日だったんですが、
アキレス腱断裂してまで、有休を取得するという身体を張った想いやり。笑

舞子ちゃんは個人事業主の働き方で、
これまではかなり夜遅くまで働いていることも多かったのですが、
自分で裁量できることもあり、
日帰り手術はずっと付き添ってくれて、
その後もかなり早く帰ってきてくれるようになりました。
そのおかげで舞子ちゃんのご飯も頻繁に食べられるようになって
(舞子ちゃんの料理はとてもおいしいのです!)
コミュニケーションの時間も取れて、
結婚式の話も進んでいます。

何か目標に向かって頑張っていくのももちろん大事だけど、
二人でくだらない妄想話で盛り上がって笑っているこの瞬間の幸せが、
実は人生の中で凄く貴重なものなんじゃないかと思っています。


③本当にやりたいことを思い出した
経済的に自由になりたくて、そのために最近取り組んでいたアプリ開発が、
松葉杖のせいで通勤電車内でPCを広げられなくなってしまい、
一気に頓挫してしまいました。
今はある程度余裕ができましたが、
当初は松葉杖で通勤するだけで一日の体力を使ってしまい、
帰ってはご飯を食べてバタンキューの生活。

要は、生活が非常にシンプルになりました。
仕事と家の往復と言ったらつまらないけど、
その間にいろいろ予定や考えることを詰め込んでいたおいらは、
それによって、なんというか、
一言で表すとリセットした感じになりました。

で、思い出したんですね。
自分のやりたいと思っていたことが。
生活クラブという選択肢は、間違っていなかったとは思うけど、
それはあくまでも「狭められた選択肢」からの選択だったということ、
狭められる前に自分が何を考えていたのか、
そういうことを思い出しました。

もう今年度を終われば生活クラブ職員歴も5年。
早いものです。


具体的な話はまた今度にしますが、
今は舞子ちゃんとの時間を大切にして、
新たな目標に向かって準備をしている、
今、この瞬間が幸せです。

頑張れない子と困ってるひと2012/07/09 00:28

修士論文を書いていた頃、「頑張れない子」というタイトルでブログを書きました。
http://oira.asablo.jp/blog/2008/12/18/4013526

この記事についてはその後いろんな人から反響があって、
特においらを良く知っている人の中には、
これまでで一番の評価をくれた人もいました。

自分の頑張れないっぷりは相変わらずで、
先週今週、仕事をちょっとストイックにやってみたら、
なんか肩に変なしこりみたいのがでてきたり(すぐ消えたけど)、
今日は10時に代々木に行くのに奥さんに引きずられるように家を出て、
電車で座らせてもらいながら手を引いてもらって命からがら到着するという情けないっぷり。

その後、豊洲の友人宅で同窓会の打ち合わせをしてる間、
可能な限りまったりさせてもらって、
やっと落ち着いてきました。

大学院の時に書いた文章を見直すと、
自由な時間がたくさんあったからこそ、
自分のペースでできていたなぁと思います。
今の仕事はフレックスなので、
ある程度は融通が利きますが、
やっぱり拘束の度合いは学生時代よりも断然強い。

そんな中でもどうにか自分のペースを作り出す。
机のレイアウトを工夫したり、
あんまり推奨されない泊まりがけの仕事も、
どうにも好きになれない新宿の街と混雑電車に3時間費やすより、
泊まっちゃった方が体力的に楽だからそうしたり。



と、途中まで書いて、はや一週間。

その間、頑張れない子の奥さんが「困ってるひと」という本を差し出してきました。

これがなかなかの本で、著者は僕と同い年の女性なんですが、
「困ってるひと」というのは、著者本人で、
もともと上智大学の大学院でビルマの研究に身を捧げていた人なんですが、
突然、原因不明の超絶レアな難病にかかってしまうという。
その苦しみたるや、一年中インフルエンザにかかっているような状態だそうで、
「この原稿を打ち込むキーをたたいている今も、一日ステロイドを二十ミリグラム服用し、免疫抑制剤、解熱鎮痛剤、病態や副作用を抑える薬、安定剤、内服薬だけで三十錠前後。目薬や塗り薬、湿布、特殊なテープ、何十種類もの薬によって、室内での安静状態で、なんとか最低限の行動を維持している。それでも症状は抑えきれず、二十四時間途切れることなく、熱、倦怠感、痛み、挙げればきりのないさまざまな全身の症状、苦痛が続く」(「はじめに」より抜粋)

面白い記述は、著者がビルマの難民の研究をしていたら、自分が医療「難民」になってしまった、と分析しているところ。
しかも、著者曰く、難民というものはなってみないとわからない。今まで自分は難民の研究をしていたけど、結局他人事でしかなかった、と。

日本にも難民はいるということです。
ご興味ある方は以下。
http://www.amazon.co.jp/困ってるひと-大野-更紗/dp/4591124762

これを読んで、あんまし自分も頑張れない子で甘えてはいけないなぁとも思ってます。
でも、自分ができるのは、甘えない=無理する、じゃなくて、
もっともっとうまくやる方法を考えること。
健康な衣食住はもとより、
薬膳もサプリメントも活用したり。
あと、ただ調子が悪いから寝てるんじゃなくて、
積極的に気持ちよくなる方法を探す(洗濯とか掃除)とか。

「困ってるひと」の大野さんほどじゃないけど、
「気合い」「死ぬ気」の言葉で全てを片付ける職場のお隣さんを横目に、
今日も僕は最大限「頑張らない」生活を「頑張って」います。

2012/05/11 00:03

生活クラブに入って4年目に入りました。

連合会に入って丸1年になりました。

去年の4月に出向で来ましたが、1日ですぐに被災地に行って、1ヶ月向こうにいたので、実質GW明けで1年ということです。

前のブログにも書きましたが、
この1年はキツかった。
何よりも、「わからないことをやらなきゃいけない」ということがキツかった。

今はやっとコントロールができるようになってきたところです。

しかし、1年で失われた信頼は大きく(笑)
いろいろ言う割にはミスが多いというレッテルが貼られているようです。

とはいえ、いろいろ言ったり、
新しいことをやろうとするのをやめるつもりはありません。

連合会の出向は3年契約です。
来年になってみないとわからないけど、
一応3年で帰るように、出るときは言われてきました。
だから、おいらに与えられた時間は3年。
その中で自分ができることをやるしかありません。

うちの課長がよく言います。
「職員何百人いるなかで、消費材開発できるのはうちにいるこの数人しかいないんだ。自分がやりたいと思ったものを開発できるなんて、こんな面白い仕事はない」

おいらもやっとその面白さがわかってきました。
そして、今のギフトに何が足りないのか、
自分が何をすべきなのか、
1年経って、やっと見えてきました。

それを3年のうちにある程度までやりとげるためには、
まわりの言うことに一喜一憂しないで、
自分の目指すところにとにかく進んで行こうと思います。